明石昌夫さんご逝去

 2025/05/19に一時代を築いた名アレンジャー明石昌夫氏が逝去された。1957年の早生まれということで、まだ68歳という早さであった。


明石昌夫氏に対して思うこと

 本当に突然の訃報であった。「ミュージックユニバース」という歌手・音楽家のオーディション・養成機関からX(旧twitter)にて発表された。
 ちょうど発表から24時間時点で140万回Viewという注目度の高さからも、明石昌夫の功績の大きさがうかがえる。ここ1年近く、自分は記事の更新もXの更新もしていなかったのだが、今回はあまりの衝撃に自分もつぶやいてしまった。

 言うまでもなく明石昌夫氏はビーイングの黄金期に多大なる功績を残したアレンジャーである。本記事ではその功績については詳しくは触れないが、気になる方は以下の記事をご覧いただきたい。

明石昌夫サウンドの真髄とは? 12. 明石昌夫のサウンドの特徴
ビーイングブーム徹底解析⑨ 明石昌夫編 10. ビーイングブーム徹底解析その9 ~作家で見るビーイングブーム 明石昌夫編~
明石昌夫編曲シングル売上ランキング 17. 明石昌夫 ビーイング系シングル売上ランキング


 明石昌夫氏は1988年のB'zデビューから1995年の前半あたりまで、B'zやZARD,WANDS,T-BOLAN,MANISHといったビーイングの中心的なアーティストの編曲を担っていた。売上枚数やその影響力は非常に大きい。特に、ZARDのアレンジを模倣した五十嵐充率いるEvery Little Thingのサウンドには大きな影響を与えたことは以前の記事で述べた通りである。

ELTに対する影響について解説した記事はこちら↓ 5. ELTはZARDのパクリなのか!?徹底解析!

また、プロデューサーとしても「1/3の純情な感情」で有名なSIAM SHADEをヒットに導くなど活躍した。

 昨年までは元気にYouTubeに動画を投稿されていたので、マイペースに音楽活動を続けているものだと思っていた。奥さんとの食事の動画を出すなど充実したプライベートの様子まで公開されていた。そのため突然の訃報に驚いたのが正直なところだ。今回はいつものように定量的な分析を中心に進めるのではなく、個人的な感想を書き記していく。

追記)
 逝去が発表された日の翌日2025/05/25の午後になって、親族一同名義で「死因は心不全」であったことが発表された。生前、明石昌夫氏は「タフはタフですね。病気一つしないし、健康診断も全て正常だし。」と語っていただけに、急逝したことに対する衝撃が大きい…。


明石昌夫氏に対して思うこと

 晩年は、YouTube活動を主とした動画投稿活動に精力的に取り組まれていた。特に往年のB'zファンには、「明石さんの過去の栄光にしがみつくこんな哀れな姿を見たくなかった」とか「B'zの名前を使って稼ぐな」とかといった批判的なコメントもつくことがあった一方で、僕のような新規のファンからは昔の貴重な経験談を聞ける機会として重宝されている面もあった。
 特に、B'zの「MOTEL」の時に「アレンジが遅々として進まず、B'zのアレンジャーをクビになった」と発言していることに対して、「松本さんに対して恨みを持っているのか」といった意見が散見され、物議をかもしていた。 明石昌夫本人は、「クビになったって言わなくてもいいんだけどね、クビになったってあえて言って、気にしていないのがカッコいいみたいなナルシズムなんだよね」というふうに発言している。 筆者はこの気持ちがすごく分かる。半分自虐、半分カッコつけみたいな、偏屈なものの言い方ではあるのだが、絶妙に言葉の含蓄がある。
 話は少し変わるが、明石さんは阪大の電気系の学科を卒業している。しかも、正確な診断を受けたわけではないが、アスペルガー(ASD)であることを公言されている。実は筆者も別の国公立大学の理系学部の出身であり、明石さんのようなタイプの人間が多い環境で育ってきた。 べらぼうに多いわけではないが、世間一般よりは、アスペルガーの天才タイプが多く、そこそこいるなぁくらいの感覚である。だからこそ、人の気持ちではなく、事実ベースだけで会話を進めたり、過集中したり、こだわりが強かったりする人がいるというのはすごく分かるのだ。
 だから、わりと普通の人にとっては、こいつ当たり前のように神経を逆なでしてくるなとか、感情的に恨みをもっているに違いないとか思わせるようなことをできてしまう明石さんのような存在はすごく奇異に映り、理解できないのかもしれない。しかし、筆者にとっては、そんな人もいるよなぁくらいである。
 そして、こういった天才(変人)タイプは、うまく使いこなせる人が上に立てるかどうかで、存在価値が180度変わってくる。ビーイングの場合、松本孝弘や長戸大幸といった”プロデューサー”がうまく明石昌夫氏の才能を引き出すことができていたからこそ、ビーイングは黄金時代を築き上げることができたのだと考える。(ちなみに、織田哲郎も発達障害であることを公言している。やはり天才タイプにはこういった属性の人が多い。)



 ということで、突然の訃報に驚くばかりでとりとめのない文章になってしまった。結果的に、晩年のYouTube活動は亡くなる間際に後世に広くエピソードを残すこととなった。彼が自らの死期が迫っていたことを実は知っていたのかのように…。
 明石さんは早くも天国へ向かわれてしまったが、明石さんの功績は消えることはない。我々は明石さんの残してくれた作品を聞き続けるのみである。心より哀悼の意を表します。


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